私にとって「コロナ禍で行けなかったクルーズ」は、特別な思い入れがあります。実は私が初めてクルーズに乗ったのは、コロナの大流行直前。世界がまだマスクの必要性をそれほど感じていなかった時期で、船内のイベントや寄港地観光など、あらゆる場面が大いに盛り上がっていました。陽気な音楽に合わせたダンスパーティー、豪華ディナー、船内で知り合った仲間たちとの交流…すべてがキラキラと新鮮で、この世にこんな贅沢な旅があるのかと感嘆したものです。帰港した際、「次は絶対に〇〇海域のクルーズに行こう」と、早速次の計画まで立てていました。
しかし、そんな期待に胸を弾ませていた矢先、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し始めたのです。あっという間に海外旅行はおろか、国内旅行でさえも慎重にならざるを得ない状況へと変化していきました。もちろん、多くのクルーズ船が運航を停止し、私も計画していたクルーズ旅行を断念することになりました。当初は「数ヶ月程度で落ち着くだろう」と楽観視していたため、延期という形でチケットを保管していたのですが、結局そのままキャンセル手続きをする羽目に。クルーズ船をはじめ、観光や旅行業界が大打撃を受け、ニュースを見ても不安な情報ばかりが飛び交っていたあの頃は、誰もが先の見えないトンネルにいるような感覚でした。
そんな中でも、前回のクルーズ仲間たちとは連絡を取り続けていました。中には健康面で不安を抱える方もいたので、安易に会うこともできません。しかしメールやSNSでお互いの近況を報告し合い、「落ち着いたらまた船上で集まろう」という小さな希望を灯し続けました。いわば「行けなかったクルーズ」を通じて、人との繋がりがどれほど大切かを痛感するきっかけにもなったのです。
結局そのクルーズには行けず終いでしたが、次にクルーズに乗れる日が来たら、きっと以前とは違う価値観で旅を楽しめるだろうとも思います。コロナ禍を経て「当たり前のようにできていたことが、実はとても尊い時間だったのだ」と気づかされた人は多いでしょう。特に、食事やイベントを複数の人と楽しむことができる船内の空間は、以前以上に貴重なものとして感じられるはずです。こうして「行けなかったクルーズ」が、逆に私にとっては「当たり前の贅沢や自由を再認識するための思い出」となりました。だからこそ、いつか同じ仲間たちと再び同じ船に乗り込み、盛大に乾杯する日を夢見て、日々を頑張っていこうと思っています。
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